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kou1960

Author:kou1960
小説専門のブログです。
小説の形を借りて自分史も入れたりしています。
もとよりアマチュアですし、たいしたものは書けませんが、楽しんでいってくだされば幸いです。FC2 Blog Ranking


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夜景イメージ


「すみません、尼崎まで行ってほしいの」
小雨の降る夕方、その女は明石の街中、バス停のところで僕のタクシーに手を挙げた。
「お急ぎならこの時間でしたら電車のほうがずっと早いと思いますよ‥明石駅までお送りしましょうか」
僕がそう言うと女は「わたし、電車が苦手なんです、どうしても尼崎に行きたいので」と返す。
「分かりました、結構な料金になると思いますが・・・」
「おいくらくらいになりますか?」
「1万5千円ほどですね・・それと高速代と」
「それなら大丈夫です、2万円まででしたらお願いしてもいいですか」

僕に異存はない。
もとよりこの日は乗客が少なく、売り上げが低迷していた。

しかし、不安がないわけではない。
最後まで乗車してもらって、運賃料金をきちんと貰うことでやっと成り立つのがこの商売だ。

その女は、三十になるかならないかくらいだろうか、グレーのスーツ、白いブラウス、やや茶色かかった長い髪、ごく普通の縁ありのメガネ、白い肌、朱の口紅・・清楚というわけではないが、ある程度仕事のできる感じのような雰囲気を見せていた。
「では、参りますね・・大蔵谷から高速道路に入ります」
そういうと、ちょっと考えて女は「海が見たいので、須磨まで国道で行ってもらえますか」
「分かりました、少し時間が余分にかかりますが・・」
「いいですよ、時間的な余裕はあるので」

なんとなく危うげなものを感じたのは僕のタクシードライバーとしての本能だろうか。
だが、断る理由もないし、思い切って車を走らせる。

「ごめんなさい、遠くで・・」
女は申し訳なさそうに言う。
ルームミラーに写る女の顔からは誠実さが感じられた。
「いえいえ、こちらこそ遠方までありがとうございます」
愛想良く僕は女に返す。
ルームミラーの中でメガネをかけた美女がにこやかに微笑む。

乗ってすぐ、女は携帯電話を取り出して、誰かと話をしていた。
「うん、すまんね、今から2時間後くらいに着くんじゃけぇ・・」
「うん、電車じゃないんじゃ、電車はあの混み方が苦手で、よう乗らん・・タクシーで行くんじゃ」
「うん、待っちょって・・」
女が携帯電話を置いたので、僕は訊いてみた。

「お客さん、広島のご出身ですか?」
女は驚いた表情をルームミラーに見せて「あら、わかりますか?」という。
「お相手も広島の方なんですね、尼崎で待ち合わせですか?」
「そうなんじゃ・・」
そういったかと思うと女は口に手を当てた。
「そうなんです・・もう、何年ぶりかな・・・会えるの・・運転手さんも広島ですか?」
「いえいえ、私は神戸生まれですよ。広島に友人がいたものですから・・」
「友人って、女性ですか?」
女は悪戯っぽく、まっすぐにルームミラーを見た。
僕はそれには答えず、「それは内緒」とだけ言い、クルマを走らせる。

やがて女は改まったかのようにこういった。
「運転手さん、聞いてもらっていいですか?」
「ん?何をですか?」
「私の愚痴です…」

国道2号線は夕方の時間帯とあって混んでいた。
時折渋滞する窓の外には明石海峡大橋が見える。

*******

彼とは幼馴染なんです。
殆ど同じころに関西に出てきて、彼は大阪、私は明石で仕事をしてたんですよ。
でも、お互い、相手が関西にいるって全く知らなくて・・

それが、一昨年に地元の同窓会に出て再会、まさか近いところにいるなんてって、びっくりしたんですよ。
その時から付き合い始めたんですけど、お互い時間もお金もなくて、なかなか会えなくて。
やっと今日、今から尼崎で会えるんですよ。
嬉しくてうれしくて…

*******

可愛いお嬢さんだと、思ってしまった。
屈託なく、ちょっと恥じらいを含んで話す様子には、この人を少しでも疑った自分を恥ずかしいと思うほどだ。

普段なら明石から20分ほどの阪神高速の入り口まで渋滞気味で30分余りかかってしまった。
辺りはすでに夜の気配だ。
群青色の空の下、前を走る車のテールライトが揺れる。

クルマが神戸の都心を過ぎたころ、女の携帯に着信が入ったようだ。
「うん、え・・それちょっと・・」
「できるかなぁ…」
「わかった、じゃ・・」

電話を切り、女は窓の外を見ているようだった。
やがて、芦屋に近くなったころだ。
辺りはすっかり夜になってしまった。
「運転手さん、お願いがあるの」
女はなにやら切迫したような声を出す。
「あ・・はい」
「クルマをどこかで止めてほしいの」
「高速降りてからね・・・」
「間に合わない、いますぐ・・ほら、その先の駐車帯で」
女の切迫した様子に、もしかしたら腹具合でもおかしくなったのだろうかと思った。
「でも、高速です」
「お願い!」
泣き出しそうな声だ。

僕はクルマを非常駐車帯に寄せて止めた。
こんなことは初めてだ。
「どうされたんですか・・」
女はそれには答えず、なにやらゴソゴソと衣擦れのような音がする。

「運転手さん」
「はい・・」
「こっち見て・・」
ルームランプをつけようとすると「明かりは付けないで」と懇願する。

仕方なく、明かりの消えたままの後席を見ると、女は衣服を脱いでしまっているようだ。
暗がりだが、道路の照明や通過する車のライトで女の様子が分かる。
胸をさらけ出している。

「タクシー代が払えなくなりました。身体で払わせてください」
女はそういうと運転席の方に身体を寄せてきた。
「いや、何を考えているんですか・・・」
「お願い・・」
運転席のシートに後ろから覆いかぶさるように、女が身体を寄せてくる。
僕の手を取り、無理に女の胸へ誘おうとする。
「お願い、このままラブホに連れて行ってもらってもいいから」
僕は、女の柔らかな胸に触れてしまった手指を慌てて引き戻した。

窓の外は高速で突っ走る車の流れだ。

「やめなさい!」
僕は思わず大きな声を出した。
「ドライブレコーダーに記録されていますよ」
女は驚いたかのように後ろへ下がった。
「お金がないならクレジットカードでもいいし、行った先でお友達にお金を借りて払っていただいてもいい、どうしてもだめなら身分をきちんと示すものをだして
後日請求でもいい、そんなことはやめなさい」

女は泣き出した。
「衣服を身に着けてくださいね」
僕は言葉を柔らかくして、女に言う。
心なしか、女がほっとしているようにも見える。

高速で突っ走る自動車の隙間を見て、僕はクルマを発進させた。

尼崎で高速を降り、女の指さすように走ると、小洒落たマンションがあった。
「ここで待っていてください、荷物は置いておきます」
「お待ちしていますよ」
女のブランドものらしいバックを座席において女は何度か会釈をしてクルマを降りていった。
「来るかな・・・来ないだろうな」
それは僕の確信だった。

だが、意外にも女はすぐにマンションから出てきた。
「ごめんなさい、彼は今、ちょっと先の飲み屋にいるらしいの、とりあえずこれだけはお渡ししますから」
千円札で2枚、運賃は15000円を超えていて到底足りる額ではない。

「飲み屋はどこですか?」
「すぐさきです、ちょっとだけ乗せてください」
女のいうままに500メートルほど走ると、スナックがいくつかある建物があった。
「また荷物を置いておきますね」
女はそういってクルマを降りていく。

すぐに男と一緒に戻ってきて「おいくらでしたか・・」と聞く。
ポロシャツにジーンズというやはり三十歳になるかならないかに見える男も誠実そうな感じで、幾度も頭を下げる。
この男が「彼」なのだろうか。

「あ・・店に俺の財布を忘れた」
男が頭を掻きながら呟くと、女は呆れたような表情で「お店に戻ってきますね」という。
二人して建物の中に消えた。

迂闊にも、僕はこの状況で女を信じてしまっていたのだ。
ビルの中に入った男女は出てこなかった。
10分、20分と経過し、ついに30分ほどして僕は建物の中にある店を尋ね始めた。
「若い男女のお客さん、ご存じないですか?」
どの店にもそういう客はおらず、「今日は若い人は一人もないわよ」なんて言うママさんがいたりする。
「どうしたの?乗り逃げ?」
年輩の、人の好さそうなマスターが心配してくれる。

ふっと、建物の奥に、非常口があるのに気が付いた。
「やられた」
この時、僕はやっと、気が付いたのだ。
二人はここから出ていったのに違いない。

警察を呼び、タクシー強盗事件として捜査が始まった。
僕はそのまま明け方まで、まるで強盗事件の犯人のような扱いを受けながら取り調べをされ、ドライブレコーダーのSDカードも証拠品として押収された。
クルマにはあちらこちら、指紋採取のための粉がまかれた。
「たぶん、髪もウィックでしょう、普段はメガネをしないのかも、捜査が難航するかもしれませんね」担当の刑事は申し訳なさそうに言う。
ブランドバックの中は、雑誌がいくつか入っているだけで、どうもそのブランドも偽物のようだった。

すべてが終わって、ただ脱力感と疲労感がすごい。
朝の国道を西へ戻る。
コンビニで何か飲み物をと、クルマを停車させ、助手席に置いてある自分のバックを開けた。
封筒が入っていた。
「なんだろう・・身に覚えがないが・・・」
そう思い、封筒を開けると写真が数枚出てきた。
見事なプロポーションの女性のヌード写真だ。
ただし、写真はすべて首から下だけで、顔は画面の外のようだ。

「詫びのつもりかな・・」
そう思ったとたん、笑いがこみ上げてきた。
「やるやんか・・あの子・・・」

それにしても・・あの時、誘いに乗って身体で払ってもらってもよかったのかもと・・一瞬思った・・きれいな胸をしていたと未練らしきものも自分の頭の中に出るが、そうなったらそれで、あの男が強面の美人局に変身するのかもしれんと、打ち消した。

街は朝のラッシュが始まっていて、今から会社に帰ってそこからまた報告か・・・
帰宅は何時になるんだろうと、そんなことだけを考えた。




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閨の戯言

女性裸身イメージ


わたし、ヤクザのスケやったんよ
「なに?」
わからない?
「わからないこともない・・」
んま、想像されているとおりやけどね
「それっていつ頃の話なん?」
うん、まだ中学生だった
「今なら犯罪」
当時でも犯罪かもね・・でも、わたしが転がり込んだの
「転がり込んだ?」
家出してね・・寒くて寒くて・・通りがかったかっこいい人に
ね、今夜泊めて・・って言ったの
「大胆やなぁ」
必死やったよ、とにかくどこか暖かいところへ行かないと・・って
「でもそれだけで拾ってもらったの?」
うん、お前一人かって・・行くところがないならついて来いって
「泊めてもらえたの」
そのかわり、来るということがどういうことかわかってるなって・・
「つまらないことを訊くけど・・」
なにが訊きたいか・・あててあげましょうか
「うん・・」
そのとき、君はバージンだったか?って・・
「うん、それを聞こうとしてた」
わたし、早かったからね・・もう十分、経験済みだったって・・嘘よ
「じゃぁ・・」
うん、その人が初めて、でもね・・すごく優しかった
「ヤクザなら女に慣れていたんじゃないの、その人」
全くそんなことはなくてね・・周りの人が怖がるような人なのにすごくかわいい・・
「かわいい・・?」
男性として、そういう時はまるで弟みたいな
「よくわからんなぁ」
分かれっていうほうが無理だとは思うよ
「でももう一つ、訊きたいことあるけど」
なにか、危ないことをさせられなかったか?でしょ・・
「よくわかるね・・」
その世界にもいろんな人がいるけど、その人は絶対にヤクとか、そういうものを誰にもさせなかった・・
「信じられない」
人はいろいろ、どの世界にもまっとうな人はいるわ
「なるほど」
すごくまともな人だった・・
「その人とはどうして離れたの?」
もう、帰りなさいって・・半年ほどいたかなぁ…ここはお前のいる場所ではないよって
優しく言われたの・・
「じゃ、それからどうやって生きてきたの?」
その人が少しお金をくれてね・・親のところへ帰るんだよって
「ふうん・・それで・・」
素直に帰ったわ・・
「親御さんはそのときどうだった?」
べつに・・帰ったの・・だけ
「半年ぶりに帰ったのに?」
彼からは連絡はしてあったみたいよ・・捜索願も出されてなかったし
「普通なら、ヤクザに娘が拉致されたとか言い出しそう」
わたし、親の手に負えなかったからね・・もう、何もかも反抗してぶっ壊して
「今の君からは信じられない」
でしょう・・今はとってもお上品でしょう・・
「お上品かどうかはよく知らんが・・」
知らんって・・・ひどいわねぇ
「可愛いけど」
けどぉ??
「ちょっと怖いところがあるのはそういうことかと」
怖い?わたしが?優しいつもりだけどね・・・
「意志を貫くというか、自分を持っているというか」
そんな風に見てくれるの・・ありがとうね

あなたは、枕もとのバックから細身の煙草を取り出し、オイルライターで火とつける
僅かなオレンジの明かりだけの部屋の中を、細い煙のスジがゆっくり上っていく

あなたは旨そうに煙草を一本、吸い終わり、また掛布団にもぐりこんだ
僕は無様にもその布団に頭から潜り込んであなたの口を吸う
柔らかな煙草の薫りが僕の口の中に広がる
僕は今、あなたを愛している
僕は今、あなたとともに息をしている


秋色の貴女

加古川イメージDD51


長い鉄橋のある川岸、秋も深まった今日、僕は久々にここでカメラを構えた。
川のほうは今はトラス橋になっていて絵にするのが難しく、でも、僕はここでは川の土手から平野のほうを望む景色が好きなのだ。
愛用のニコンに長い望遠レンズを装着し、しっかりと身体で支える。

ファインダーで見る秋の平野は様々な色が多彩に咲いていて、その景色の真ん中を複線の線路がはるか遠くへ伸びている。
その線路の伸びる先に屹立する独立峰はこのあたりの神の山だ。

やがて、紅いディーゼル機関車がけん引する青い客車による列車が遠くに見えた。
僕はファインダーに集中し、レンズの腰を支えながら、シャッターボタンに指を乗せる。
ファインダーの中で列車の姿が少しずつ大きくなり、僕は夢中でシャッターを押し続ける。
列車の姿がファインダーから消え、僕はカメラを持った腕を下ろし、秋の景色に目をやる。
「もしかしたら、今日は会えるかも」
ふっと沸いた期待感と間髪を入れずに聞こえた声。

「会えると思ってくれた?」
優しく、心地よい貴女の声が聞こえる。
「うん、今日は気持ちの良い日よりだしね、こういう日に君に会えると期待していたよ」
「嬉しいわ、そういってくれるの」
カメラを持ったまま、後ろを振り返ると、秋色とでもいうのか、オレンジや茶、深緑をパッチワークのように組み合わせた貴女が立っていた。

ショートの髪、朱色の口紅、色白で頬のあたりが紅い、いつもの貴女だ。
「ここに来るの、ずいぶん、久しぶりでしょう」
「うん、仕事と家事に忙殺されてね」
「いいなぁ、幸せな家庭があるの・・」
貴女はそういって神の山のほうを見る。

「君にだってあったじゃないか」
「幸せ?ないよ、そんなもの」
「仕事のできるご主人と、可愛い子供さん二人と」
「見た目はね‥功徳とやらがいっぱいの家庭の演出」
「そうかなぁ・・取り方はいろいろだろうけど」

あの日、ちょうど今日のような秋の日だ。

時刻はもう少し後の頃か。
日没の頃、一人の主婦が、所用のためにこの景色の先の踏切を北へ急いでいた。
所用とは主婦が所属している宗教団体の、地域ごとにやっている小さな会合だったそうだ。
この地域特有の巨大な太陽が西に沈む。
神の山の稜線がオレンジに染まる空の下のほうでくっきりと浮かび上がる。

田圃の真ん中の踏切が鳴り、遠くから強いヘッドライトがゆっくり迫ってくる。
降りてきた遮断機をそっと持ち上げたその主婦は、やがて線路に座り込んだ。
電気機関車EF210の泣き叫ぶような警笛があたりに響く。
ブレーキシューが車輪踏面を押さえつけ、車輪とシューの鉄粉が線路に飛び散り、その接触の金属音が激しく長くこだまする。
主婦はじっと電気機関車をにらみつけていた。
「わたしをきちんと轢きなさい」と命じるかのように・・

「もうね、なにもかも嫌になったのよ。わたしはただの親の道具。幸せの演出も組織を守るため」
「そこのところは僕にはよくわからないけど、僕には十分、幸せに見えたよ」
「親の言うままに、教団の学校に行って、エリートとして帰ってきた時の私の心はボロボロ、そこには人間らしいものは何もなかったわ」
「そうか、僕はその頃には中学校を出て、鉄工所で仕事をしながら夜間高校に通っていたから、名門の学校に進めた貴女がうらやましかった‥」
「わたしには、自分の力で社会で生きて、自分の力で切り開くチャンスを持ったあなたが羨ましかったわ」
「そうかぁ・・えげつないものだぞ・・あの年ごろで一人で生きるのは‥」
「でも、それって親の意思はないでしょう…自分で決められるでしょう‥」
「確かにね‥」


機関車のヘッドライトが照らし出す田圃の中の踏切。
急制動をかけるも列車が止まれるはずもなく、うずくまる女性の姿は一瞬にして吹き飛び、そして機関車の後に続く長いコンテナ貨車の地響きのような制動音。
夕闇が迫る田圃や線路の中に飛び散る手足や肉片や衣服。

その場所は今は住宅が立て込み、僕は数度、そこへ祈りに訪れたけれどそこで貴女に会うことはなかった。
貴女に再開したのはその数年後にここの土手に来た時。
今日と同じように列車の撮影に来た時だ。

もちろん、僕は現れた貴女に対して、非常に驚いた。
だけれど、もともとが僕にとって憧れの女性だ。
中学生の頃の清楚な美しさが今も心から消えることはなく、ほかの人ならたぶん驚いて恐怖のあまりその場から逃げ出したかもしれないシチュエーションで、僕は生前に聞けなかった話を伺うことを却って嬉しく思ったものだ。

中学生時代は彼女から見て僕がかなりガキに見えたこと、今でも中学生の頃と同じようにカメラをもって列車を追うことにちょっと呆れていること、でも、そんな僕が羨ましかったことなど・・

「でもね・・君にとっては親の意思というものへの反発があることは認めるよ」
「うん」
「君のお子さんにはどうなの?お母さんを亡くして辛いのではないかな」
「わたしの両親がまだまだ健在です‥あとはまた、母親を亡くして苦悩する少年少女の立ち上がりのドラマを演出すれがいいこと」
「それはちがうよ・・」
「そうかしら」
「誰にとっても母親はかけがえのない一人のはず」

貴女は神の山のほうを向いて立ったままだ。
気に入らない言葉を僕が発すると貴女は消えてしまうかもしれない。
でも、僕はあなたとのこの時間を大事にしたい。
貴女に恋した中学生時代には持てなかった時間だ・

「ねえ、優美子さん」
僕は貴女の名前を呼んだ。
「今の君から、僕を見てどう?ちょっとは男として成長したかな」
貴女は振り向いた。
秋色のワンピースに包まれたその顔形は中学生時代の、あなたが幸せだった時代の姿だ。
「成長?」
そういったかと思うと大きな声で笑いだした。
「あなたが成長なんてしているはずないでしょ」
「そうかなぁ・・この頃、商売も手広くやっているんだけど」
「商売も何も、いまこうしてカメラを抱えて線路際に来ていること自体、あなたがあの頃のまんまってことよね」
そういって貴女はさらに声を上げて笑う。
まるで中学生の頃の天真爛漫な貴女を見ているようだ。

あの頃の僕は、貴女に憧れながらも、軽い会話はすることができても、じっくりと話をすることなど思いもよらぬ少年だった。
貴女のすることをじっと目を凝らして見つめながら、そのことを考える能力など持ち合わせず、帰宅途中の線路際で、ポケットカメラを取り出しては走る列車を撮影した。
その撮影の多くが貴女が列車に向かって行ったあの場所近くだ。

「優美子さん・・」
「なに?またなにか笑わせてくれるの?」
「いや、なんでこうして、君を死に追いやった列車を撮影する僕のところに出てくれくれるんだろうと思って」
ちょっと考えてから、彼女は優しい表情で僕を見つめ、そしてこう言ってくれた。
「きっと、あなたがあの頃のままだから・・」
「ガキのままってこと?」
「それもあるけど、わたしが憧れた、わたしの好きなあなたのままだから」
「僕を好きだと言ってくれるの?」
「好きだったよ、自由で楽しそうで…」

秋の風が吹く。
もう少しで貴女を撥ねたあの貨物列車の時刻だ。
「一つだけ、わたし、あなたに謝らなきゃ・・」
「なにを??」
「あなたの好きな列車を傷つけたこと、列車に恨みはないからね」

陽が沈む・・今日の牽引機はやはりEF210だという情報が入る。
遠くで踏切が鳴る。
僕はカメラのファインダーを覗く。
あなたが興味深そうに僕の横で、僕を見てくれているような気がする。

阪堺電車

阪堺線162


あの日の大阪の方の空は真っ赤やってんよ。
奈良の親戚のところへ疎開させられていたから
私は空襲を知らへんの

でも、疎開先でいじめられてん
かばってくれた叔父さんが頼もしかったわ

車椅子に乗り、若い女性介護士に押してもらいながら
婦人は何度も喋ってきたことをまた繰り返す
横断歩道の途中には阪堺電車の、石畳の敷かれた線路があり
介護士には車椅子が押しにくい
遠くに電車が見えるが、路面電車ゆえ、まだ当分はここまではやってこない
ガタガタと揺れる車椅子、線路のところで詰まるようになりながら
それでも介護士は「えいっ!」と車椅子を強く押す

グイッと前のめりになりながら
介護士・被介護者の婦人はそこを乗り越える
「いつものことやけど、ここ、通りにくいですね」
苦笑しながら介護士が婦人に話しかける
「阪堺電車の線路ですもんね」
「仕方ないやんね、あなたにはしんどいやろうけど」
そういいながら線路のある道路を渡り終えたとき
ふっと思い出したように婦人が喋る

「子供の頃はこの電車で浜寺や大浜へ泳ぎに行ったもんやわ」
「そうなんですね、こんな都会にも砂浜があったんですね」
ここまではいつもの会話だ。

その時、深緑色の古い電車が近づいてきた
やってきた電車を見て、婦人が、いつも言わないことを言う
「まあ、懐かしい電車・・」
「あら、本当、えらい古臭い電車ですね、鉄道ファン向けに走らせてるのかしら」
「電車ばかり追っかけてる人たちって、おるよね、なにがおもろいんやろ」
婦人がそういって笑う
二人の真横を古い電車は「うおーん」とモーターの音を唸らせてゆっくり通過する

「この電車って、吉野さんが子供のころから走っているのと同じなんでしょうかね」
「そうねぇ、たぶん、見た感じはあの頃のまんまの電車だわね」
「そうしたらこの電車も八十歳くらいなのかしら」
「ほんまやね、長生きの電車よね」
いつもと違う会話になった、介護士は珍しいことだと思う

狭い商店街を車椅子を押す介護士と、その車椅子に乗る被介護者の二人が行く
「吉野さん、お久しぶり、今日はええお天気で良かったな」
八百屋の兄さんが語りかけてきた
「そやねん、このところお天気が続かへんで、お買い物もできひんかったしね」
「そやな、雨が多かったな・・ほんで今日はなんにしよか」
「う~ん、一人やからたくさん食べられへんしなぁ」
「いやいや、大根半分でも、三分の一でも、四分の一でもええで」
「きゅうり一本とかでも」
「きゅうり、一本言わんと半分でも売らせてもらいまっせ」
「ほな、半分は悪いからきゅうり一本と、トマト一個、キャベツ半分の半分・・」
「はいよ!それまとめて袋に入れてセットにしとくさかい」
「ああ、おおきにな、いつも助かります」

八百屋の兄さんと婦人が会話して、介護士が預かっている財布から小銭を取り出す
「まいどおおきに!」
明るい声に送られて二人はまた歩き出す

車椅子を挟んだ二人は、もと来た方向へ向きを変えてまた線路のほうへ向かう
「あんなこま切れの買い物、あのお店でしか、させててくれへんからな」
婦人が介護士に言うでもなく呟く
「ほんとうですね」と介護士も軽く返す
けれど介護士の彼女は
「スーパーやったらきちんと小分けでパックしてくれてるのに」といつも思っている
この婦人、吉野さんは、マンション近くのスーパーはお気に入りではないらしい
それが故、気分のいい日には線路を横切らねばならない八百屋まで行きたがるのだ

線路のある道路に出ると電車がすぐ近くに見えた
停留所に停車して客を降ろしている
さっきのと同じように古い電車だが今度は車体が茶色だ
「あら、また古い電車、今日は珍しいですね」
介護士が婦人に向けて驚いたような声を出す
「ほんとうやね、古い電車、たくさん残しているのかしら」
電車から降りてきた女が二人の前を歩いていく
きつい化粧に派手な赤系統のビロウド地らしいワンピース
黒いベルトには金の飾りが見え、肩から如何にもブランド物というバックを下げている
その女は肩で風を切るという表現そのままに威勢よく去っていく

その女を見た婦人がふっと呟く
「あの子、今からお仕事なんやね」
「そうみたいですね、スナックのお姐さんかな」
「いや、あの雰囲気はスナックというより、なにかこう、お色気のほうやね」
そう口に出した夫人は急に泣き顔を介護士に向けた
「吉野さん、どうされたの?」
「うううん、別に、わたしもあんな風に一生懸命だったなって」
「そうなんですか?」
「うん、あなたたち若い世代の人は軽蔑するかもしれないけど」
「いえいえ、いろいろご苦労なさっておられるんですから」
介護士の彼女は「いつもと違う展開になってきた」と思っている
反対方向へ行く阪堺電車が通り過ぎる
パンダの絵柄が車体にプリントされている電車だ

********

もう、どうにもならなくなった
今夜のお米はある、けれど明日の分はない
亭主はけっしてズボラな人間ではないが、運が悪いというのか
うまく金を稼ぎ出すことができない
よしんば、夫に明日、仕事があったにしても
その稼ぎが手元に入るまでには自分たちは干からびてしまう
「ね、もうお金があらへんの、どないするのん」
「いわれても、わしも必死やねんけど、こんだけ雨が続くし、景気が悪いし」
「じゃ、わたしがもう一つ仕事するわ」
「いや、お前、工場の仕事しながらできる仕事て」
「夜の仕事に行くわ、日銭でくれるとこもあるかもしれへん」
「いや、それはやめてくれ、夜の仕事言うたらお前・・」

出来る限りのおめかしをし、夫の制止を振り切ってアパートを出た
といっても、着るものもほとんどは質入れしてしまっていて、ろくなものがない
せめて化粧だけでもと、自分でも「お化けやな」と思うほどにした。

まだ日が長い夏の夕暮れ、阪堺電車が「うおーん」と唸ってやってきたあの景色を
わたしは今も忘れることができない
蛾や甲虫が飛びかう電車の車内
その窓に、渡ってはいけない危ない橋を渡ろうとする自分の顔が映し出される
怖い顔だと思った

車内のほかの乗客すべてが幸せに見え、その幸せを恨みたい気持ちになった
十分ほどで、そこだけが高架の、
線路の下からホルモン焼の匂いが漂う停留所に降り立った

意を決して道を歩くも
知る人に出会うことなど稀な街なのに、人目を隠すかのように歩いたあの夜
案内所のようなところでいきなり「わたし、働きたいんです!」と叫んだ自分

そして、そのまま連れていかれた菓子商のような間口の店で
教えられた吐き気がするような客への仕事を
ほんの数十分後にはやってのけた自分があった

もちろん、家では夫が怒った
「生きるためにウチが必死でやっとンや、あんたに文句を言われる筋合いはないわ」
そう言い返されると、何も言えずうなだれる夫
けれど、あの夜の
初めて赤の他人に身体を任せたときの
なんとも言えない嫌な感覚は今も身についていて時々自分を襲う

それから三年、嫌な仕事を続けた
相手にした男は千人にも上っただろうか

だが、そのおかげで、さすがに少しカネが溜まり、小さな喫茶店を出した
その店も何十年かやって、身体が言うことを利かなくなってから閉めた
夫は店ではよいマスターでいてくれたが、夫との夫婦関係は一切なくなった
妻としての自分を許してはくれていなかったのだろう

そしてその夫も、店を閉める少し前に他界した
夫は多分最後まで自分を許していなかったろうし
あのとき、不甲斐なかった夫自身を攻め続けていたのだろう

******

阪堺電車が行く。
連接車と言われる、スマートで大きな電車だ
静かに滑るように去っていく
「あんたは、わたしみたいな無茶をしたらあかんで」
そう言いながら夫人は涙を拭う
車椅子を止めたまま話を聞いていた介護士は
ただ、空を見つめ涙をこらえていた

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家出

雪の客車

雪は夜になる前に上がり、月明かりが煌々と辺りを照らす。
ここ数日で降り積もった雪が月に照らされた明るい夜だ。
好夫は「しまった」と唇を噛む。
これでは自分たちの行動が月と雪に照らされて丸見えではないか。
誰もが年末年始の多忙を過ぎた今だからこそ、ひっそりと実行できる計画だったはずだ。
それにこの月夜、そして大雪だ。
元より、さほど雪の降る地域ではないがこの年はことさらに雪が降った。
雪だけならさほど問題はない、だが、雪のあとの月夜となると、街灯の乏しい田舎とはいえ自分たちの姿を見られることのリスクを思わずにはいられない。

揖斐へ向かう近鉄電車の四つ目が彼女、悦子の家の最寄り駅だ。
そこはちょっとした町の中心的な駅でもある。

古い電車はモーターの唸りを上げて雪原を走る。
好夫は思わずため息をつく。
「中止したい」
そう思うが、もはや悦子に連絡を取る手段はなく、彼女はもう、好夫がカーテン生地で作った縄を部屋の柱に結びつけているころだろう。
こういう時、なぜに女は強いのかと思うが、それもため息のもとでもある。

好夫の心配をよそに、電車は気持ちの良いモーターの音を立てる。
窓の外は月に照らされた雪が広がるばかりだ。
あの町の神社の陰に、すでに悦子は向かっているだろうか。

今夜決行することは決めていた。
所謂、駆け落ち、家出である。
北風が吹きすさぶ真冬の夜ならば、たとえ家を出たことが家人に分かっても追っては来れないだろうという浅はかな考えからだった。
だが、自分の浅はかさを天に笑われたかのようなこの明るい夜はどうだ・・

そして好夫にはもう一つの不安があった。
それは今夜これから二人で落ちていくその行先を未だ決められずにいたことだった。
夜汽車に乗って遠くへ・・・
そう直感して決めたものの、その遠くがどこなのか、東京なのか、大阪なのかはたまた九州なのか・・

だが、手元に持ち合わせもあまりない。
まさか一銭の金も持たずに二人で過ごせるはずがないことは十分わかっているつもりだ。
それゆえできるだけ、鉄道の運賃にはお金をかけたくないという思いもあった。
けれどまた、近く・・例えば名古屋あたりだとすぐに親戚に見つけられてしまうだろう。
鉄道の運賃に使えるのは片道500~600円と言ところだろうか。
その当時、これだけあれば大垣から関西には行くことができた。
それゆえ、好夫の頭の中にはぼんやりと「関西」という方向性が浮かんでいた。

夜の広神戸(ひろごうど)駅で電車を降りる。
駅員にも顔をあまり見られたくない。

外套で顔を隠すように改札を抜ける。
夜の雪道を歩く・・・・降ったまま凍った雪が靴の裏で音を立てる。

夜の町は雪と月に照らされ、夜とは思えぬほどに明るく、美しい。
「わしは・・たわけじゃが」
凍てつく街を歩きながら独り言が出る。

******

その頃、町はずれの農家二階では悦子が、支度に余念がない。
「なんも持つな、からだ一つでええて」
そう好夫に言われたものの、女としてはせめて必要なものをバックに詰めるくらいのことはしなくてならなない。
息を殺し、階下の両親や兄に悟られないように、支度をする。
そのとき、いきなり襖が開いた。
母だった。
「なん、しよんね」
悦子は声が出ない。
バックを背中に回し、身体は母のほうに向かうが母の顔を見ることができない。
「あんたなぁ、ええ具合に先のこと、考えとんかい?」
声が出ない。
「どないするんや、生活していったら相手のおぞいとこも見えるでな」
嫌だ、どうあっても今夜、ここを出るのだ。
彼と二人で・・・

「まぁ、ええわい」
母はため息をつきながら、悦子の手に封筒を持たせた。
「え・・・」
「これだけしか、うちにはできん・・堪忍やで」
分厚い封筒にはいくらの紙幣が入っているのか見当もつかない。
「お母さん・・」
「ようけはない、お前の嫁入り用にと貯めよったんじゃ・・まだ、ちいとやでの」
「うち、そんなんしてもろうたら・・・・・」
「ただし、お父さんの立場もある、玄関から出てくんは・・あかん・・」
母はそういうと立ち上がり、襖を閉めて階下へ降りていく。
悦子は声を上げて泣いた。

******

好夫が神社の境内に着いても、悦子の姿がない。
しばしそこで待ったが、何かあったかもしれないと思うと居ても立っても居られない。
神社からほど近い悦子の家の前までくると、二階の悦子の部屋にだけ明かりがついていた。
何やら動くものがある。

まさか、声を上げるわけにもいかず、傍の木の枝を叩いてみた。
雪が好夫の頭の上に落ちてくる。
悦子は部屋の柱にシーツで作った縄を結んでいるところだったが、好夫の姿に気が付いたようだ。
小柄な彼女が一生懸命にシーツを結び、それに伝って降りようとする。
元より、好夫が考えたこととはいえ、危険極まりない。

さきにバックを放り投げてきた。
雪の上にバックが落ちる。
好夫は慌ててそれを拾い、自分の立っている木の根元に置く。
続いて間髪を入れず、悦子が縄にぶら下がる。

危なげな格好で、シーツの縄にぶら下がった悦子は、一瞬、うまくそのまま地面まで滑り降りるかと思ったが、すぐにシーツが切れた。
彼女は2メートルほど落下した。
ドサッ!
雪の上に尻から落ちた。
「大丈夫かや!」
思わず声が出てしまう。
「雪が積もっとってよかったがな・・」
悦子はそういい、好夫を見て、そして笑った。
「お尻が・・くろにえとるかな?」
「雪やからの、大丈夫やろ」

好夫がそう答え、悦子がまた笑う。
二人は雪を払い、駅へ向かう。
早くしないと最終の大垣行きに乗り遅れてしまう。

辛うじて最終の大垣行きに乗れた。
本日最後の切符を売った後は何も知らんとでも言いたそうな駅員から切符を買い、やがてやってきた古臭い電車に乗り込むが他に乗客はいない。
好夫から見た悦子は能天気に構えているように見える。
だがそれは悦子から見た好夫も同じでやはり能天気に構えているように見える。
さして速度を出さない田舎の電車は、雪明りのだけが光る夜の田園を走る。

大垣駅に着いたのは深夜11時過ぎ、古風な電車から降りて国鉄と共用の改札口へ向かう。
「ねえ」
悦子が好夫に問いかける。
「結局、何処まで行くの?」
「ああ・・うん・・」
「もしかして、決めとらんの?」
「いや、そんなことはないんや」
「ね・・何処に行くの?」
「ああ・・神戸や・・ごうど、と同じ字を書くのも縁やろ」
「きちんと決めてるんやね」
「ああ・・」
結局、今日の実行までに行先を決めることはできなかった。
だが、それでも何としても今日でないと悦子を掴むことはできない。
彼なりに必死だったが、悦子にそれがバレないようにしなければならない。

だがここに至って彼の心境は「この先、どうしよう」でしかなかった。

「神戸(こうべ)まで二枚」
出札口で好夫は切符を求める。
千円札では二枚は買えない。
なけなしの金が減っていく。

寒い待合室で二人が肩を寄せ合って待つ。
誰か知った人が来てももう止められないとは思うが、それでも好夫は周囲を気にする。
「0時28分発、門司行き、改札です」
駅員がそっけなくそう伝え、彼らを含め数人が立ち上がる。
ホームに出るとまた雪が降っている。
遠くからヘッドライトの明かりが見え、やがて、汽笛が聞こえる。
「ねえ・・」
悦子が好夫にしなだれかかる。
「もう一回、本当のことを言って・・・」
「本当のこと?今から神戸に行くことか」
「違う、私のことを本当に好きなの?」

だが、悦子の言葉はたくさんの貨車を牽いてやってきた黒っぽい機関車の汽笛で消される。
けたたましい警笛が二人を包む。
そしてそのあとの無数ともいえるたくさんの二軸貨車のレールジョイントだ。

「ねえ、私のこと、好いとるの?」
悦子が大声で好夫に聞く。
「あ・・・ああ・・」
「ねえ、わたし・・こんなに・・」
「なんだ・・・」
貨物列車が通り過ぎた。
遠くにジョイント音が去るが、まだ余韻が残る。
「私のこと、好いとるの?」
「ああ・・もちろんや」
「本当に?」
夜のホーム、足元は雪だ。
遠くにヘッドライトが見える。
「ねえ・・」
「なんだ」
「好きと言って・・」
機関車の警笛が響く。
今度の警笛は心なしか優しく聞こえる。
「汽笛に負けんように言って」
「ああ・・」
「好きと言って」
「ああ・・」
警笛がまた響く。
強いヘッドライトの光の中で二人は抱きしめあう。
「好きだ」
「聞こえん」
「好きだ!!」
機関車に率いられた茶色の客車が彼らの横を減速しながら通過していく。
ガシャ!ガシャ!
列車は金属音を立てて停車する。

客車の扉を押し開け、二人は客室に入る。
思い思の格好で座席を使って寝入っている乗客たちばかりで、彼ら二人の空席が見つからない。
気配を感じたらしい一人の壮年が彼らに声をかけた。
「おお、二人連れかいな・・ワシの前が空いとるわ」
壮年は独りで向かい合わせの座席を占めていた。
「あ・・すみません・・」
「いやいや、こちらこそ寝入ってしもうとったわ」
「ありがとうございます」
悦子が頭を下げる。
壮年は二人の顔をじっと見つめる。
機関車の警笛が鳴り、列車はガクンと振動を伴って発車する。
「どこまで行かれるのかな?」
壮年は二人に聞く。
「神戸まで」
悦子が答える。
だが、好夫には神戸はあてずっぽうでしかない。
「ま、その近くまでです」
「近くとな…」
壮年はそういったきり考え込んでしまった。
そしてやがて好夫を睨むように問いただす。
「行く当てはあるんかいな?」
好夫は顔を真っ赤にして何も言えなくなった。
「はぁ・・その、繊維の仕事で・・・」
「ほう、あんたは糸偏の仕事をしておるんかいな、その当てが神戸にあるんやな」
「いえ・・」
その好夫の言葉に驚いたのは悦子だ。
「あんた、当てもなくこの列車に乗ったの??」
「いや、そんなことはないんや」
悦子はうつむいてしまい、涙を流しているようだ。
列車は大垣駅の複雑な構内配線を抜け、やがて東海道線本来の速度へ加速していく。

「ほう、仕事が決まらへんのに、神戸へ行くんか」
「いえ、僕には繊維の仕事では自信がありますから」
「ほう・・そやけど、まだ何も決まってないんやろ」

壮年がそういうと好夫は肩を落とした。
壮年が続ける。
「ワシは名古屋へ織機を見にいっとったんや」
「織機・・ということは紡績の会社ですか?」
好夫が顔を上げる。
悦子はうつむいたままだ。
「そうや、神戸の先、兵庫県の高砂市で繊維会社をやっとる・・」
窓の外には燈色のさして明るくない車内の風景が反射するだけ。
時折、機関車の警笛が鳴る。
この辺りはつい先だって、電化されて蒸気機関車から電気機関車になったばかりだ。
ガクン、軽いショックで列車は関が原への上りにさしかかる。

レールジョイントが規則正しく車内に広がる。
乗客たちの息や酒、煙草や水虫の匂いが、蒸気暖房の湯気に煽られてかえって際立つかのように広がる夜汽車の車内だ。
向かい合わせの座席に二組の窓、天井の真ん中の燈色の照明。

窓の外では雪が横に走る。
「なぁ、君、もし、まだ行先が決まってないんやったら・・うちへ来んか」
唐突に壮年が好夫に問いかける。
「あなたの会社ですか・・・」
「この列車は朝には神戸を通って西へ行く・・明石を通って加古川という大きな駅がある」
「加古川・・」
当時の繊維産業では加古川には日本毛織の大きな工場が二つもあり、よく知られた町だった。
「ああ、その駅の次の駅が宝殿っちゅう駅や、わしはそこでタオルを織る会社をやっとんや」
「ほうでん・・」
「宝、それから殿様の殿、それで宝殿、縁起の良い駅名やろうが」
壮年はそこで笑った。
「あ・・他のお客が寝とるわい・・小さな声でな」
そういうと今度は悦子が俯いたままクスクス笑う。
「でもまだ、あなたには会ったばかりですし」
「何を言う、これこそ縁っちゅうもんやないか・・」
カーブは続く線路を客車の車体を軋ませながら列車は走る。

「ほんまに、ここで会ったばかりの僕でよろしいんですか?」
「ああ、今はタオルはいくら作っても売れる・・一人でも優秀な作業者がほしい・・」
「実は、僕はまだ行先を何も決めていませんでした」
「やっぱりそうか、ただ、さっき行先を神戸とはっきり言っていたと思うが」
「彼女の家が大垣近くの神戸(ごうど)で、同じ漢字やし」
「それだけのことかいな・・彼女はそれを知ってついてきたんか?」
悦子が顔を上げた。
「いえ、騙されました」
そう言って笑った。
まだ目に涙のあとがある。
「神戸に当てがあるものと思っていました」
「それはひどい・・」壮年が好夫を睨み付ける。
「ワシは、竹中繊維の竹中政造や」
そういいながら名刺を上着の内ポケットから出して好夫と悦子に渡す。
「私にまでお名刺を・・」
「あんたの惚れたこの男は、とんでもないええ加減な人間や・・何かあったら即ワシに言うてな」
そして好夫のほうを向き、「人生、女を連れてまでええ加減なことはしたらアカン、あんたはワシのところですぐに働くんや」

列車が減速をする。
雪で滑るのか、連結器の衝撃が大きい。

山間の小さな駅に停車した。
関ケ原と、駅名が粗末な照明に照らされている。

数人の乗客がおりていった。
「あんたの名前を教えてもらわんとな」
「はい、窪木好夫、こちらは妻になる予定の悦子です」
「そしたら、わしのところで明日から、いやもう、日付が変わったな・・今日からや・・働く、それでええか・・」
「はい、お願いします」
「住宅は事務所の横の部屋が空いとるさかい、そこを使うてくれ」
「なにからなにまで・・」
機関車の警笛が鳴る。
ガクンと衝撃が響き、列車は加速する。
客車の二枚並んだ窓の向こうに雪原が広がる。

「ちょっと社長さん、彼女とデッキで話をしてきます」
好夫は竹中に頭を下げる。
「ああ・・二人ゆっくり話しときや・・話が済んだらこの席に戻っといで」
「はい」

客室の、寝入っている乗客の間をすり抜け、デッキに出た二人は客室よりもっと粗末な照明の下で向き合った。
「たわけ・・」
そう切り出したのは悦子だった。
「すまん」
「あんたを信じてついてきたのに、なんも行先も決めとらんって、信じられんわ」
「すまん・・一応、僕には仕事の自信もあったし」
「そやけど、そしたら神戸に着いたらどうするつもりやったん」
「いや、それは取りあえず・・」
「とりあえず、二人でぶらぶらするお金なんかある?」
「いや、ない・・・」
「もし、あの社長さんに出会えんかったら、えりゃあことになりよったんや」
雪の降りしきる外界と遮るたった一枚のうすい木の扉の隙間から冷気が飛び込んでくる。
「たわけ・・」
そういったきり、悦子は好夫の懐に飛び込んできた。
「あんたはたわけや」
「すまん・・・」

列車は未明の雪原を西へひた走る。
二人にとってお互いの身体の暖かさ、何が何だかわからぬが、それさえあれば生きていけると二人が身体で感じていた。
門司行き普通、111列車は走る。

「宝殿は7時25分ということや、それまでせいぜい寝とかんとな」
列車の揺れによろめきながら通路を歩き、座席に帰った二人を竹中は笑顔で迎えてくれた。

(昭和30年代初期、この111列車は前日の14時30分に東京を出て、東海道線を各駅に停車しながら、大垣に0時26分着28分発、岐阜と米原の間は大垣と関が原だけに停車するが、米原からまた各駅停車となり、神戸6時15分、加古川7時18分、そして門司には22時01分着という今では考えられないのんびりした列車だった。
もっとも、京都・明石間の関西の国電区間では、大阪、三宮、神戸、須磨だけに停車していた。京都・神戸間1時間55分、大阪・姫路間2時間ちょうど、今の新快速はおよそ、その区間をそれぞれ半分程度の所要時間で結んでいる。)



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