無料レンタル FC2 Blog Ranking story(小さな物語)   那覇新一 短編

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kou1960

Author:kou1960
小説専門のブログです。
小説の形を借りて自分史も入れたりしています。
もとよりアマチュアですし、たいしたものは書けませんが、楽しんでいってくだされば幸いです。FC2 Blog Ranking


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裕子の鉄道写真



あれは寝台特急「日本海」がいよいよ廃止されそうだと噂されていた頃だから2011年だろうか。
大阪駅で、まだ廃止の正式アナウンスがなく、今ならと鉄道ファンが殺到する前の寝台特急「日本海」の静かな発車をを見送った僕は、その少し後に発車していく富山行きの「サンダーバード」をついでに撮影しようと10番線ホームの端っこでしゃがみ込んでカメラのファインダーを覗いていた。
いきなり、頭の上でパパパパパ・・と高級一眼レフの連写音がした。
僕のカメラはパシャ、パシャ、パシャと連写にしてもおよそ早くは思えない動きなのだ。
鉄子イメージ


驚いてそちらを見た。
髪の長い女性が一心にカメラのファインダーを覗きながらシャッターを切っている。
大きなボディ、ニコンのカメラを愛する僕にはすぐにその機種が分かった。
ニコンD7000、当時最新の高級機種だ。

呆気に取られて女性を見ていると、やがてその女性は撮影を終えたようで、カメラから目を離す。
彼女の足元にしゃがみ込んでいる僕に気が付いたらしく、一瞬、僕と視線が合った。
その女性は、ニコっときれいな笑顔を見せてくれ、すぐに軽く会釈してその場を離れていく。
小柄だがスマートな体躯。
黒っぽいニット地のワンピース、肩から下げた大き目のブランドバック・・
颯爽とホームの中ほどへ向かっていく彼女の後姿は僕の中に強烈な印象を残した。

だが、彼女がどこの人であるのか、調べようもなく月日は経っていく。

*****

それから6年、昨年の春のことだ。
この間に仕事や家庭のことなどいろいろな変化があり、しばらく好きな鉄道にも足が向かない時期があった。
僕は自宅近くを営業車で走っていて、あまりの桜の美しさに、ふっと、春の鉄道風景を見たくなった。
そしてその翌日には自宅からさほど遠くないローカル鉄道へ出かけていた。

さわやかな風が舞い、柔らかな陽光が降り注ぐ春の田園風景は、しばらくの自分の思いもしない要らぬ多忙で疲れた心をゆっくりと癒してくれた、。
無人駅の駅前広場に自分の軽四輪を停め、エンジンを切り、窓から入る風にすっかり身を任せていた。
その時、少しスペースを開けた横に、大きめのRVが停車した。

僕は、地元の鉄道利用者だろうか・・くらいに思って気にしていなかったが、そのRVから、女性がカメラを持って降りてきたのを見て意外な気がした。
同好の士なのか・・

その女性は長い髪で、デニム地のワンピースを着ていた。
僕の視線が彼女に感じられたのだろうか、その女性は僕の方を見た。
そしてニコッときれいな笑顔を見せてくれた。
一瞬にしてあの、大阪駅での出会いを思い起こさせる。

「鉄道ファンの方ですか?」
彼女の方から暖かな声で話しかけてくれる。
僕は助手席にカメラ機材一式を置いていたから、彼女がそれを見たのかもしれない。

「ええ、そうなんです。あなたも鉄道ファンですか?」
「はい、ここ、春先はいいですね、本当にきれいです」
そういった後こう付け加えた。
「ぜひあなたもいい写真が撮影できますように」
軽い綺麗な笑顔を振りまいていく。
彼女の手にはニコンの最高機種、D5がしっかりと握られている。

まもなく列車の来る時刻だ。
僕はホームに植わる桜が見事に咲き誇るその向かい側に立ってカメラを構えた。
近くに先ほどの女性がいないか、探してみたが見当たらない。

やがて、単行の気動車がはるか遠くの丘の上に見える。
速度が決して高くないので、列車がここに来るにはまだ1~2分はある・・そう思った時、後ろの方でガサガサと草叢が動く音がする。
驚いてそちらを見ると、女性が草叢に這いつくばるようにしてカメラを構えている。
僕が考えたこともない、撮影の姿勢だ。

気動車がやってきた。
だが僕は、腹這いになっている彼女の姿が気になって仕方がない。
チチチチチチチチ
あの時の連写音よりはるかに速度アップした音をカメラがたてる。
僕はやっと、駅舎と桜の花が画面に入るカットを数カット撮影しただけだった。
DSC_0281.jpg


呆然と彼女を見ていると、彼女はゆっくり起き上がって、おなかの辺りに付いた草の葉などを払っている。
胸の稜線の辺りを払う手を思わず見てしまう。

「あの・・」
まともに言葉が出ない。
「あら・・いい写真撮影できましたか?」
やはり、きれいな笑顔で訊いてくれる。
「あ・・はい・・」
僕は彼女のお腹や胸のあたりを見たままだ。
「まだ、葉っぱついてます?」
悪戯っぽい表情で僕にそう聞く。
「い・・いえ、もうついてないです・・」
やっとその言葉を飲み込んで、一度息を吸ってから僕はこういった。
「すごい姿勢で撮影されるんですね・・」
一瞬、きょとんとした表情を見せた彼女だったが、やがてちょっと笑いながら答えてくれる。
「ああ・・あの格好ですか、いや、あれを見られたの・・恥ずかしかったかも」
そしてけらけらと大きく笑い出した。
「いや、どうしてあのような格好で撮影されていたんですか?」
しばらく笑いが止まらなかった彼女はやっと笑いを抑えて、線路際の草叢の一角を指さした。
「そこ、見えます?」
彼女が指さしたその先には何本もの土筆が出ているのが見えた。
「土筆・・ですか?」
「そうなんですよ、ここ、桜と同時に土筆が出るんですが、うまい具合に土筆が目の前にあったので、それを主題にして撮影しようとしていたんです‥」
そう言ってくれた後、また彼女は笑い出した。

RVと最高級デジタル一眼レス、にこやかな笑顔、腹這いになっての撮影、そして今の大笑い、目の前で立っている女性は紛うことなき大阪駅での女性だと、僕はなぜか確信した。

「あの、つかぬ事を窺いますが・・」
「ん?なんですか?」
笑いをとめ、でも無防備な屈託ない表情で真正面から僕を見てくれる。
「6年ほど前、大阪駅でサンダーバードを撮影されていませんでしたか?」
すると彼女は「う~ん」と下を向いて考え始めた。
「6年といえば・・トワイライトじゃなく…日本海かな・・」
「あ・・僕もあの日、日本海を撮影に行っていたのですがその後、サンダーバードを撮影していて」
「だったら、行ったかも・・・大阪駅にはしょっちゅう出入りしているから・・・」
「その時にお見かけした方ではないかと思ったものですから・・」
「あら、じゃ、今日はすごいご縁の再会・・」
大きな目を丸くして僕を見つめる。
愛らしい唇の明るいピンク色に僕はドキリとする。
「あの日、僕はホームでしゃがみ込んで低い位置から撮影してたのですが、いきなり頭の上で高速連写・・見ると髪の長い女性が・・・」
「あらぁ、失礼なことしたのかな・・・わたし、列車を見ると見さかいがなくなるので・・」
そういったかと思うとまた笑い出した。
「あったかもしれないですね、そういうこと・・」
笑いながらやっとのように言う。
「いや、本当にびっくりして、僕は列車を撮影できず、呆然とあなたを見ていました…」
「あらぁ、それはごめんなさい・・」
「今も・・」
「え・・今もなんですか!?」
「驚いてしまって・・撮影は何とかしました」
僕がそう言うと彼女はグンと近づいてきた。
「ちょっと画像見せてください・・」
「え・・いや・・その」
僕はちょっと後ずさりしかけていたが、彼女は僕の組からストラップで釣り下げているカメラに手を伸ばし、さっさと捜査してモニターの画像を見ている。
僕のカメラはニコンD7000、あのとき彼女が使っていたものと同じで、中古で安く入手したものだ。
彼女のカメラの操作は全く滞りがなくスムーズだが、僕のカメラは首からぶら下がったままなので、彼女の顔が異常に近づいているように感じる。
「いいですねぇ~~きれいに撮れてる。セオリー通り基本に忠実・・」
「そうなんですか・・」僕は息を呑みながら言葉を出す。
「あ・・ごめんなさい、勝手に・・」

彼女はカメラから手を離した。
「わたしが撮影の邪魔をして撮れてなかったらどうしようかって思ったものですから」
いえいえと、僕は声を出そうにもまた彼女に圧倒されて何も言えない。
「じゃ、わたしが今撮ったのも見てください」

彼女は息遣いが感じられるほど近くにより、僕にニコンD5のモニターを見せる。
そこには下から見上げた気動車のカットが何枚も続き、そして車輪だけが写りこんでいるものがそのあとに何カットもある。
「この車輪だけのは・・何か意味があるんですか・・」
僕はモニターで見ても意味が分からないので尋ねた。
「ほら、下の方を見てください」
彼女は画像の一つを拡大して指で示す。
「これは・・」
「土筆ですよ!」
「主題が土筆というのはこれですか・・」
「そうです。車輪と絡んでいい雰囲気になりました」
「なるほど」
車輪と土筆

僕はもう、すべてに気圧され言葉を飲み込むしかない。
彼女が撮影したその車輪の写真が悪いとは思わないけれど、僕の発想にはないもので、意見の持ちようがないのだ。

「ね、ちょうどひとりでは寂しかったから、あなたのクルマをここにおいて、一緒に先へ行きませんか」
「え・・」
「行きましょう!このさき、ちょっと遠いけれど、いい感じの山があるんです」

そういうと彼女はさっさと僕から離れて歩き出した。
僕はついていかねばと、彼女の後を追う。

半ば無理やりに彼女の大きめのRVに乗せられる。
この鉄道の駅前は無料駐車場になっているのでクルマを置いておくことの心配はない。
よっこらしょと、慣れぬRVの助手席に乗り込むと彼女はさっさとエンジンをかけてベルトも締めていた。
「お邪魔していいんですか」
「こちらこそ、無理にお誘いして・・」
そう言いながら彼女はさっさとクルマを出す。

少し動くと彼女は車を道路の端に寄せる。
「ちょっと失礼します」
そう言いながらスマートフォンを出して話し始めた。
「はい、なにかありましたか」
「う~~ん、わたしは今、ちょっと遠くにいるから、今いる大先生に訊いてよ」
「先生がいきなりオペ!そうなの、でも、わたしはここからでは2時間はかかるわ」
「でも、あなたもいつまでもネーペンさんじゃないのよ、こういう時にチカラをつけないと」
「大体きかなくてもやり方はあなたは全部知っているんですから、わからないときは経験豊富なナースの方々がいるわ」
「なんでも経験よ、経験」
ちょっときつくそういって彼女は電話を切った。

「ごめんなさいね、仕事の電話で・・」
彼女はそう言いながらクルマを発進させる。
「いえ・・あの・・お医者様ですか?」
「あら、今の話で分かってしまったかな・・」
「でも・・」
「なんですか?」
「戻らなくて患者さんは大丈夫なんでしょうか・・・」
「大丈夫よ。それよりわたしが戻るのを待つ方がよほど危ないでしょう‥」
「はぁ・・」
「今日は楽しむの。決めているの」
「なるほど・・」

クルマは大きな図体なのに器用に山の中の小道へ入っていく。
農家の人らしい軽四輪と出会うが難なくやり過ごし、軽く手を振って向こうの運転者に礼をする。
「そういえば・・」
「はぁ」
「まだ、あなたのお名前を訊いてなかったわね・・ワタシは河野裕子、サンズイの河に野原の野、コロモヘンの裕、子どもの子ね」
「あ・・僕は米野浩一と言います。コメの野原、サンズイに告げる、一番の一・・」
「じゃ、浩一さん、今日はお付き合い有難う」
「いえ・・裕子さんと呼んでいいですか・・よろしくお願いします」

クルマはいつしか高い山の上に登り、大木からなる森林を抜けた先の小さな棚田に着いた。
「ここから、列車が良く見えるでしょ」
彼女が指さす先を見ると、木々の合間から確かに単線の線路が光っている。

彼女はスマートフォンの情報に見入り「あと7分くらいで普通が通過しますよ」という。
「ありがとうございます」
「いえいえ、もう遠慮しないで‥お互いファーストネームで呼び合うんですから、ね、浩一さん」
「じゃ、裕子さん、わかりました・・」
「なにが分かったの~~」と言いながら彼女、裕子は外に出て何やら用意を始めた。
僕もクルマの外に出た。
緑の山々、空気がひんやりと体を包む。

彼女がクルマのバックドアを開けて出してきたのは立派な三脚だ。
ポジションを決めて、三脚を固定する。
三脚の足は思い切り伸ばしてあり、背の低い彼女はとてもその高さでカメラのファインダーを覗くとは思えないが、すぐに足元にアルミ製の脚立を置いて上に登る。
僕は自分のカメラをぶら下げたまま、その様子を見ている。

「こういう時、浩一さんはどう構図を作るの?」
「う~~ん、列車をあの木立の中ほどに入れて・・」
「なるほど流石ね・・わたしはちょっと違うかも」
そういったかと思うと、「来たわ、レールジョイントの音がする」とすぐにカメラのファインダーを覗き始めた。
僕も、自分が言ったとおりの構図にカメラを固定し、列車の音が山間い広がるのを聞く。
なかなか列車は現れない・・・そう思った矢先、いきなり木々の間を1両だけの朱色の列車が見えた。
シャッターを押す。
パシャ、パシャ、パシャ・・五度ほどシャッターを押しただけで列車はまた木々に隠れてしまった。
その間、頭の上からチチチチチチチチとクマゼミの鳴くような音が聞こえている。
D5の連写音だ。
DSC_1441.jpg


列車が行ってしまって、脚立に乗っている彼女の方を見ると、顔を空の方に向けている。
空を見上げて泣いているようにも見える。
「撮れましたか?」
僕は彼女に訊いた。
ふっと、僕の方を見た彼女の顔は上気していた。
何か言いたそうだったが、転げそうに脚立から降りていきなり僕に抱きついた。
「やった、やった、ありがとう!思った通りの絵ができた!」
そして更に抱きつく力を強くした。

彼女の髪からのシャンプーの香り、ほのかな香水の香り、そして柔らかな彼女の胸が僕に密着する。
抵抗することもなく、僕は彼女の腕の中にいた。

しばらくしてやっと腕を離した彼女は、上気した顔で目に涙を浮かべて「ありがとう、ありがとう」という。
なにがありがとうなのか、僕には理解できない。

「撮りたかったのよ、このアングル・・」
彼女は脚立に登り三脚のカメラを外し、僕にそのモニターを見せてくれた。
雲雀が、鶯が鳴いている。
彼女が見せてくれたモニターには殆どが山の木々の緑で、画面の上の方の隙間にわずかに赤い列車がいる構図だった。
その構図の写真が30カットほどもあろうか。
その間、列車は少しずつ前進しているわけだ。
「浩一さんのはどうでした?」
僕も彼女に自分のカメラのモニターを見せた。
画面の中央に木々の隙間が入り、赤い列車が比較的大きめに存在感を出している構図だ。
「この感じもいいね・・」
彼女は感嘆したように言う。
だが、これは断言できる。
僕の撮影した構図は、鉄道ファンの大多数として当たり前の構図だ。
彼女の撮影した構図は、明らかに何かの一線を越えた、いわば芸術の域に達した人の構図だ。
「いや、裕子さんの感性、すごいです」
心底、僕はそういった。
「そうかな、ありがとう」
彼女は頬を上気させたまま、自分のカメラのモニターを見続けている。
よほど作品の出来に満足したらしい。

木々の間を風が通る。
僕らはゆっくりと道具を片付け、クルマに乗り込むところ・・・ふっと僕は目の前にいる彼女をとても愛おしいと思ってしまった。
「裕子さん」
なに?と振り向いた彼女の肩を今度は僕が抱きしめた。

「だめ・・」
そう言いながら、彼女は僕の腕の中にいた。
柔らかな感触、木々の葉を揺らす風と、その葉の間から漏れる陽の光と、鳥のさえずりと、彼女の少し荒い息遣い、僕はこの瞬間がこれまでの人生で一番大切なものだと・・思っていた。


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別府のべんとばこ

14別府鉄道キハ2別府口入構


山陽電車別府(べふ)駅の築堤下に見える、少し離れた二つの線路
それが「別府鉄道」という現役の鉄道路線であると、気が付いたのは引っ越しも済んで数週間が経つ頃だった。
というのは、僕はテレビニュースなどで地方の私鉄がどんどん廃止になっていく様子を見ていてそれが記憶に残っていたものだから、この路線もそういった廃線跡なのだろうと勝手に想像してしまっていたわけだ。

ある時、神戸へ行く母に同行していて、山陽電車のホームの下を緑とクリームに塗られた可愛い単行列車が走っているのを見た。

その山陽電車の別府駅ホームというのは不思議なところで、神戸と姫路を結ぶ私鉄である山陽電鉄と、その並びに当時、岡山まで開通していた山陽新幹線、そして山陽電車を潜っていたのが、昭和48年当時とて時の流れから置いてけぼりにされたようなクラシックなローカル私鉄という、今思えば鉄道ファンには堪らない場所だったのだ。

その時に見た小さな気動車は、これまたテレビか学校の掲示板に貼られていたニュース写真で見たことのある「マッチ箱電車」をイメージさせてくれた。
だが、どう見てもマッチ箱というより少し大きそうだ。

翌日、転校したばかりの中学校で仲良くなっていた隣席の「さつき」さんに小さな列車のことを訊いてみた。
「あんた、別府鉄(べふてつ)も知らんの??小学校の時、遠足で乗ったわよ」
あっけらかんとそう教えてくれた、肩までのきれいな黒髪のさつきさんに見とれ、それでも僕はこう聞いたものだ。
「マッチ箱電車って感じやんな」
すると、さつきさんはニコッと笑顔を大きくして楽しそうに言う。
「あれ、マッチ箱言うにはちょっと大きいやろ、わたしら、別府の弁当箱(べんとばこ)ゆうてるねんよ」
「へえ・・べんとばこ、うまい事言うなぁ」
「別府のガッタンとか、ケーベンっていう人もあるわ」

その時はそれで別府鉄に関しての会話は終わったけれど、この鉄道にぜひとも乗りたくなるのは鉄道ファンの卵として当然だった。

かつて海辺だったころは見事な白砂青松の景勝の地だったろうと思われる別府の、松林の中にある古臭い社宅では、母はいつも誰かとしゃべっていて、弟妹達も線路際で電車を眺める僕の趣味は理解できない。
ある日、日曜だったと思うが、まだ田畑が広がり、畦脇にはにはきれいな水が流れる別府の街を散歩していた。
田圃の向こうに新幹線と山陽電車が一緒に見られるのは嬉しく、引っ越す前に2年住んでいた大阪・泉大津では南海電車にも家からは遠かったし、4年住んだ天保山では地下鉄は高架の高いところを走っていたから、今ここで疾走する山陽電車の特急を眺め、その上に覆いかぶさるように、走るというよりも飛んでいるかのような新幹線の丸い電車を眺めるのは、楽しいことだった。

そのとき、田圃でなにやら探していたらしい女の子が僕の方を見た。
さつきさんだった。

「井野田くん、どこ行くん??」
甘い声で人懐っこく近寄ってくる。
この人懐っこさというのは、僕が泉大津にいた頃の僕の周囲ではなかなか感じられなく、天保山にいた頃には、僕はその真っただ中にあったように思う感触だ。
加古川の人は人懐っこく、屈託がない・・
そして、それがまたクラス一番の美少女と来ているから、これまた僕には嬉しいことだ。

「うん、することないから散歩・・さつきさんは、何を見てるの??」
「レンゲ摘んでるの、髪飾り!」
彼女はレンゲで作った輪を頭の上にのせて楽しそうに笑った。
その時、山陽電車の特急と新幹線の列車が並んで突っ走った。

僕は一瞬、我を忘れてそれを見ていたようだ。
「井野田君、電車がすきなんやね」
「あ・・うん」
僕の頬は少し紅くなっていたかもしれない。
「こないだ、別府鉄のこと、聞いてきたもんね」
「うん・・・」
頭にレンゲの花輪を載せてさつきさんは近づいてきた。
「ね、乗りたい??」
「なにに?」
「別府鉄よ、別府のべんとばこ、別府のガッタン」
美少女が自分に迫る。
こういう時の女の子というのは、どういして小悪魔的な雰囲気なんだろうと、僕はこれを書いている今でもそう思う。
「そりゃぁ」
「ね、100円持ってる??」
「それくらいあるけど・・」
「じゃ、乗りに行こうよ」
思い切り笑顔でそう誘ってくれる彼女にちょっと気おくれして後ずさりする僕。
「なんや、乗りたくないんや」
「いや、そんなことあらへん・・連れてってよ」
これは当時の僕としてはかなり勇気の必要な発言だった。
女の子と一緒に歩くなんて、天保山時代の小学校3~4年くらいのことだろうか。


楽しそうに花輪を頭に被せたまま、さつきさんは歩く。
僕は彼女の友達の話などを聞きながらついていく。
「とんび!」
彼女が指さした空に立派な鳶がゆったりと舞っている。

15分ほども歩いただろうか、大阪港を思い起こさせる倉庫や工場が集まっている一角の中ほどに小さな駅舎があった。
だが、そこが大阪とは違うのは、駅のすぐ近くに田圃があったことだ。
別府港駅と、簡単で分かりやすい看板が駅舎にかかる。

駅舎の中へ入っていって二人で時刻表を見上げる。
「土山行きと野口行き、二つあるんやね・・」
「うん、土山に行ったら帰れなくなるから野口行きや」
その野口行きはちょうど20分ほどで次の列車が出る時刻だ。
「野口まで大人二枚」
さつきさんは、「大人」にウェイトをかけてそう言う。
(僕たちはつい先月まで小学生だったのだ。)
小さな駅なのに、帽子に赤線が入っている駅員さんが苦笑しながら、鋏を入れた固い切符を出してくれた。
確か、80円くらいだったように思うが、僕は普段、私鉄しか使わなかったので関西ではこういう硬券は珍しく、自分で買ったのは初めてだった。

ホームに出ると目の前に停まっていたのは、先日、山陽電車のホームから見たあの可愛い緑とクリームの単行列車だった。
ガランガランとエンジンの鳴る音、まるで臨港線の機関車みたいだと思いながら、案外広い構内を見渡すと、確かに臨港線のような機関車やたくさんの貨車も見える。
時折、青い機関車が貨車を繋いだり外したりしながら行ったり来たりする。
「これこれ!」
僕らはまだ誰も乗っていない車両に乗り込み、油引きの匂いのする木の床を歩き、深緑のビニールレザーの座席に腰掛ける。
床は中央で盛り上がり、木材が器用に曲げられて微妙な曲線を描く。

別府鉄道野口線の単行気動車列車の発車時刻近くになると運転士が物憂げに乗り込んできて、後ろのドアからはネクタイを締めていない車掌が乗り込む。

いや、当時の僕には「気動車」などという言葉はなかったはずだ。
すべて都会生まれの僕には「電車」だった。


単行の古びた気動車列車は、やがてゆっくりと発車するが、当時のバスのようにクラッチを切り替える。
やがて速度が出た列車の、あけ放たれた窓から春の匂いも小さな昆虫も飛び込んでくる。
ガタガタと揺れて、ポイントを渡る。
「あははは」
さつきさんは、屈託なく、遠慮なく、座席に座りながら足をバタバタと上げ下げして、スカートをひらひらさせ、そしてその横の僕は心の底ではとても驚いていながらも、たぶん周りから見れば難しい顔をして、ビニールレザーのロングシートに座っていたのだろう。

今の加古川市別府町、野口町あたりを列車は走るのだが、今では考えられないほど外の景色は長閑で、明るい播磨の風情そのものだった。
エンジンの音を立てる割には大したスピードは出ず、激しく揺れて吊り輪が荷物棚にぶつかってカッチャカッチャという音が絶え間なくする。
別府鉄道野口キハ2進入


駅と駅の間隔は短くて、走りだしても1~2分で次の駅に着いてしまう繰り返しなのだが、始発の別府港からは僕らのほかには誰も乗らなかったのに、一駅ごとに乗客が増えていく。
10分ほど走る終点までにはお客は10人以上になっていた。

「着いたで」
さつきさんに促されて、ホームに降りる。
車掌に切符を渡そうとすると「加古川駅で」などという。

着いた駅はこれまた田圃の中の茫洋とした景色の中、でも線路の外側には巨大な市役所の建物が見える。
やがて、国鉄の気動車が2両連結でやってきた。

別府鉄に乗ってきたほかの乗客は皆、国鉄の気動車に乗り換える。
田圃の中の、茫洋とした乗換駅に二つの列車が停車し、その間を何人もの乗客が行きかい、そして片方の国鉄列車が発車していく不思議な景色を僕は驚愕の想いで見ていた。

さつきさんは、「ふ~ん」というような表情で列車を見送る。

「あれ、国鉄に乗らへんかったんか?」
別府鉄の車掌が怪訝な顔をして僕らに向かってくる。
「うん、歩いて帰るねん」
「ほう・・そうか、ほなら切符は返してもらうわな」
車掌はそういって切符を出せとばかりに掌を向ける。
「うん、おおけにな」
さつきさんは手慣れたようで、車掌の手のひらに切符を載せ、僕にもそれを促す。
僕は別府港の駅で買ったかっこいい固い切符を取られてしまうのが少し悲しい。

「気ぃつけて、いねよ」
車掌がそう言うのを「うん」と元気よく返事をしてさつきさんは僕の手を引いて改札も何もない駅から外の道路に出た。

「なぁ、ここから歩いて帰るん??」
僕は少し不安になって、さつきさんに訊いた。
「ここ、まっすぐ下りたら尾上やねん、ほな、そっからやったら、左に歩いたら浜の宮やろ、すぐやん」
彼女はいかにも大丈夫なように言う。
けれど僕には右も左も、下りるといっても坂道らしいものもない平坦な道の何処を下りるのか、不安なままで彼女の後をついていくしかない。
(下りるというのは南へ向かうこと、上るというのは北へ向かうことというのは後になって知った)

今思えば、旧野口駅から山陽電車の尾上の松駅までは1キロ半で、歩いても20分ほどだったのだろう。
だが、高砂線の廃線跡が道路として整備されている現在とは違い、ときに曲がりくねりながら、見知らぬ道を歩く20分はきつい。
最初は持っていたレンゲの花輪をかぶり元気にしていた彼女も、やがて無口になってきた。
僕もさすがに「この道でホンマに帰れるんか」と心配になったころ、山陽電車の踏切が見えた。
「ほら、ここ、尾上やん」
彼女はやっと明るくそういうが、それでもそこから学校のある浜の宮、さらにその先の別府町まで行かねばならない。

やがて、空が暗くなってきた。
学校近くの神社の松林が見えた頃には二人とも口もきかず、ただ黙々と歩く。
学校を通り過ぎ、小さなアパートの前で彼女はふっと振り向いた。
「うちとこ、ここやねん、またな!」
「ああ・・ここなんや」
「今日のことはみんなには内緒やで・・うちら付き合ってるって言われるさかいな」
「あ・・ああ・・」
「楽しかったわ、井野田君!!」
そういって彼女にアパートの玄関先で手を振られると、そこからは僕一人だ。
さすがに自宅までは歩いて10分ほど、迷子になることもなかったが帰宅したころには日が暮れていた。

古臭い社宅の引き戸を開ける。
「ただいまぁ」
「こうちゃんか!どこいっとってん!ほんまに・・」
母の甲高い、イラついた声が台所の方から聞こえた。
「いや、あの・・別府のべんとばこ・・」
「べんとばこに乗って、帰りの電車賃がなくなって歩いて帰ってきたんか!」
すっかり見透かされた僕は、母の洞察力に恐れ入ったが、ただ、さつきさんと一緒だったことだけは言わなかった。
「ふろ、沸かしてんか!」
母は台所に立ったままそこから大声で僕に命じる。

僕は五右衛門風呂の焚き付け場で、マッチと新聞紙、オガライトを無造作につかんでしゃがみ込んだ。
さつきさん、可愛いなぁ‥
叱られたのに嬉しい夕方だった。
別府鉄道野口ホームとキハ2

(本作は作者の思い出を繋ぎ合わせたフィクションです)


ルミナリエ

1217ルミナリエ広場

冬の夕方になると、君は人通りの多いライトアップされた街中を避けるようになる。
陽の短い冬の午後、三時ころになると君は決まって「人が増える前に帰ろう」とか、あるいは「どこかに入ろうよ、寒いから」などという。
春から秋の初めまでは、君も夜の帳の下りた三宮で賑やかな夜を楽しむのだけれど、少なくとも僕と君が出会ってからの五年は・・ずっと冬の夜には街中に出ていかない君だ。

だが今夜は神戸では冬の風物詩として根付いている「神戸ルミナリエ」の最終日だ。
僕は「今夜だけはルミナリエを見に行こうよ」と少し強く君に押した。
君は心なしか悲しい表情をしながらも「うん」と頷いてくれた。

元町駅前からの長い行列は、車道を厳重に囲んだ専用通路で、道路わきの歩道とは確実に仕切られている。

それにしてもだ、この街の、冬の夜のライトアップは居並ぶビルや商店の全てであり、街路樹までもが無数の電球で飾られていて、美しい。
クリスマスのライトアップとしては、たぶん、関西ではここの右に出る街はないんじゃないかと思うくらいだ。
「きれいだね・・」
僕のふっと漏らしたつぶやきに君は「そう?」とだけ答えた。
「なんか、機嫌悪そうだな・・無理やり連れてきたからかい?」
「別に・・機嫌はいつも通りなんやけどね」
いつもの柔らかな関西弁のイントネーションで、それでも機嫌の悪そうな君の横顔は様々な人工の光の中で美しい。

車道幅いっぱいの大行列は、元町の大丸前から一旦、ずっと東の三宮神社の先まで行き、そこから一筋南の道路へ・・
今度は元町の大丸を目指して歩くという大迂回だ。
「寒くないか・・」
今年の冬は寒い、まだ十二月の半ばだというのに気温は零度近いのではないだろうか。
「別に…」また愛想もなく君が答える。
「やっぱり機嫌が悪いんだ・・」
「こうして一緒に歩いとるんやから、機嫌が悪うてもええやん・・」
大丸百貨店の東脇の樹々につけられたイルミネーションはことのほか鮮やかで、軽い音楽が流れてくる。
ここまですでに三十分以上、歩いたり止まったりしている。

そして大丸百貨店の南角を曲がり、旧居留地に入った途端、巨大な光の塔とその先の長い光の回廊が僕たちの目の前に現れる。
「すごい、すごいね」
僕は思わず叫んだ。
横の君を見ると、君は頬を紅潮させ、光を見つめている。

大勢の人がスマホで写真を撮影したり、中には大きなカメラ機材をもって撮影している人もある。
警備員や警官が「立ち止まらないでください」と叫ぶ。
荘厳な音楽が流れている。
だが、観客は皆、この景色を見に来たのであって、立ち止まらずになんていうのは無理だろう。
行列の進む速度は遅く、人々の表情は笑顔であふれている。

僕もあまりの美しさに頬が緩む。
だが、君はじっと前を強く見据えたまま、黙々と歩く。
僕が何か感嘆の言葉を発しても、無視するか、黙って頷くだけだ。

光の回廊を過ぎ、東遊園と言われる広い公園に入ると、そこには巨大な光のアーチと、その先の巨大な光の城があった。
ここには三宮から行列なしでも入れるためか、回廊を歩く人の数倍の人がいるように思える。
だが、それでも光の城に近づくとそれなりに空間もでき、僕は自分のスマホでゆっくりと写真を撮る。

その時だ、君が急に僕の手を握った。
「こっち」と言いながら僕を光の城の外側に連れていく。
「どこに行くの?」
「行かなアカンとこなんよ」
人の流れを横切り、タコ焼きやケパプや牛串の店が並んでいるその脇、ルミナリエの光がそこだけは届かない僅かの空間、屋台から食べ物の匂いが流れてくるその暗がり・・そこに人々が入れ代わり立ち代わり、やってきている場所があった。


1217ルミナリエ震災の火

そこにあったのはガラスケースに収められた小さな炎。
その前で君は立ち止まり手を合わせた。
「これは・・」
「知らんかったん?あの震災の時の炎・・」
ここは暗がりで君の表情がよく見えない、だが君は目に一杯涙をためているように見える。

僕もそこで手を合わせた。
そこだけは何か冒しがたい雰囲気があった。
そこに集まる人々の表情から明るさや楽しさは窺い知れない。

君は炎に何かを語りかけているようだった。
「もしかして・・君の関係する人が震災で亡くなられたの?」
恐る恐る、炎を見つめる君に訊いた。
「父と母と、何人もの友達と、近所のたくさんの人と・・」
小さな声で君はそう言った。
そしていきなり大声をあげて泣き出した。

******

あの日、須磨区で崩れた家の中から、子供たちの泣き声がした。
まだ夜の明けきらない真っ暗な中、周囲の人が必死になって瓦礫をどけて、その子供たちを救い出した。
小学生の兄と妹だった。
一階にお父さんとお母さんがいるという。
一階と言っても崩れてしまった家では二階が一階を押しつぶしたような格好になり、とても人力で瓦礫をどけられる状態ではない。
それでも、大人たちは必至で親の名前を呼びながら瓦礫を退けようとする。
やがて、布団が出てきて、すぐに人の足先が見えた。
だがそれ以上ではとても人力では、身体に乗りかかっている木材を動かくことができない。
朝から辺りには近所で発生した火事の煙が漂ってきたが、ついにその炎が家のあった場所にも近づく。
「逃げよう」
誰となくそういう声がした。
逃げなければ自分たちが炎にまかれるのだ。
消防のサイレンはすれど、一向に火が鎮まる様子はなく、むしろ火勢は勢いを増し、真っ黒な黒煙があたりを覆う。
小学生の兄と妹は、そこから大人たちに無理に引き離された。
「おかあさん、おとうさん」と泣き叫ぶ声に、大人たちはどうすることもできず、黙って兄と妹をその場所から近所の小学校へと連れて行った。

*****

「帰る」
泣きながらそういう君を手を取り、僕らはその場を離れることになった。
僕は君の生い立ちを詳しく訊いたことはなかったし、ご両親が亡くなられていることは知ってはいても、それが神戸の震災の故だとは気づきもしなかった。
ただ、唯一の身内としてお兄さんが一人あって、近くで家庭を持っているということだった。

人混みの中を、右に左に避けながら、それでも串に刺したリンゴ飴をかじりながら歩いている女性の集団や、焼き鳥の串を歩きながら齧っている家族連れなどに少し危険を感じながら、公園の北の端まで来た時、君が立ち止まった。
そこには女性の裸像があって、時計を抱いていた。

1217東遊園地震災彫刻加工

「あの娘、可愛そうやんな・・寒い冬でも裸やなんて」
「ああ」
まさかそんなものにそう言う感情を抱くのが僕には不思議だ。
「時計を見てよ」
その時計の針が五時四十七分を指している。
「めっちゃ肌も汚れて、だれも綺麗にしてあげたいとか、服を着させてあげたいとか思わへんのかな」

ルミナリエの光の祭典の脇で、君は立ちすくんで裸像を見る。
僕はやっと、君が、冬の夜の神戸を嫌う気持ちが理解できた瞬間だった。
イルミネーションを見に来るたくさんの人々は、寒くて真っ暗な明け方の、火が迫る中での恐怖に満ちた時間を、命を終えねばならなかった時間を、感じ取ることはあるのだろうか。

僕は普段の数倍の人であふれる三宮の、ライトアップされたビルのその前で、君を抱きしめた。

風の中のあなた


(本作品は「秋色の貴女」を銀河詩手帖用にリファインしたものです。285号に掲載されました)
加古川西岸イメージ


土手の線路際、僕は三脚に望遠レンズ付きのニコンを載せ秋風を肌に受ける
線路は僕のいる場所から数百メートルで大きく湾曲し
その向こうに神の山が聳える

やがて、神の山のふもと、はるか遠くに紫煙があがる
ファインダーに注視して、風を受けながらシャッターレリーズを握る
大きく湾曲する軌道の先で、紅いディーゼル機関車が姿を現し
それはゆっくりと軌道をトレースしながらファインダーの中で大きくなっていく

続けてシャッターを押す
風音と機関車のエンジンの音、僕が切っているシャッターの音が耳に入るすべてだ
列車がファインダーいっぱいになって、やがて青い客車が次々と現れる
ファインダーから列車の姿が消える

ふっと、こういう秋の日、この場所ではあなたに会える・・そんな想いがわく

間髪を入れず、「わたしに会えると思ってくれた?」
懐かしく、優しい声がする
後ろを振り返ると、秋色とでもいうのか
オレンジや茶、深緑をパッチワークのように組み合わせたワンピース姿の
・・あなたが立っていた

「思ってたよ、なんとなく、気持ちの良い秋風の日だから・・」
「嬉しいな、そう言ってくれるの」
柔らかな秋の日差しを浴び、霞のように現れたあなたが優しく僕を見つめてくれる
ショートの髪、朱色の口紅、色白で頬のあたりが紅い、いつものあなただ

「ここに来るの、ずいぶん、久しぶりでしょう」
「うん、仕事と家事に忙殺されてね」
「いいなぁ、幸せな家庭があるの・・」
あなたはそういって神の山のほうを見る
「君にだってあったじゃないか」
「幸せ?ないよ、そんなもの」
「仕事のできるご主人と、可愛い子供さん二人と」
「見た目はね‥功徳とやらがいっぱいの家庭の演出」
「そうかなぁ・・取り方はいろいろだろうけど」

*****

あれはもう何年前になるだろうか
この線路が湾曲する少し先の、当時は田圃の真ん中だった細い道を
一人の主婦が所用のために北へ向かっていた
そこに人だけが通れる小さな踏切があった
この地方特有の大きな太陽が神の山の脇に沈むその頃だ

ちょうど踏切の警報音が鳴り、夕陽の下に強いヘッドライトが見えたことだろう
主婦は一瞬立ち止まり、そのヘッドライトを見つめ、意を決したかのように
降りている遮断桿を持ち上げて線路に入り込んだ

そして軌道敷に座り込み、ヘッドライトを浴びせる機関車を見つめる
電気機関車EF210の泣き叫ぶような警笛があたりに響く
ブレーキシューが車輪踏面を押さえつけ
車輪とシューの鉄粉が線路に飛び散り、その接触の金属音が激しく長くこだまする
主婦はじっと電気機関車をにらみつけていた
「わたしをきちんと轢きなさい」と命じるかのように・・

*****

その場所は今は住宅に覆われ、町の中で線路と細い街路が交差する目立たない踏切だ
僕は数度、そこへ祈りに訪れたけれどそこであなたに会うことはなかった
あなたに再開したのはその数年後の秋に、ここの土手に来た時
今日と同じように列車の撮影に来た時だ
 もちろん、僕は現れたあなたに対して、非常に驚いた
だけれど、もともとが僕にとって憧れの女性だ
中学生の頃の清楚な美しさが今も心から消えることはなく、
ほかの人ならたぶん驚いて恐怖のあまりその場から逃げ出したかもしれない
そのシチュエーションで親しくあなたと話をして
あなたの生前に聞けなかったことを伺うことで却って嬉しく思ったものだ
 
中学生時代はあなたから見て、僕がかなりガキに見えたこと
今でも中学生の頃と同じようにカメラをもって列車を追うことに
ちょっと呆れていること、でも、そんな僕が自由に見えて羨ましかったことなど

名門といわれる宗教系の高校に進んだあなたは
本来は凱旋して帰ってきたはずなのに、心を病んでいた
やがてお見合いで結婚し、幸せに見える家庭を築いたけれど
あなたが家庭の中で笑う姿を、あなたの夫は見たことがないという

「わたしはただの親の道具、幸せの演出も組織を守るため」
「そこのところは僕にはよくわからないけど、僕には十分、幸せに見えたよ」
「親の言うままに、教団の学校に行って、エリートとして帰ってきた時の、わたしの心はボロボロ、そこには人間らしいものは何もなかったわ」
「そうか、僕はその頃には中学校を出て、鉄工所で仕事をしながら夜間高校に通っていたから、名門の学校に進めた君がうらやましかった‥」
「わたしには、自分の力で社会で生きて、自分の力で切り開くチャンスを持ったあなたが羨ましかった」
「そうかぁ・・えげつないものだぞ・・あの年ごろで一人で生きるのは‥」
「でも、それって親の意思はないでしょう…自分で決められるでしょう‥」
「確かにね‥」
あなたは神の山のほうを向いて立ったままだ
気に入らない言葉を僕が発するとあなたは消えてしまうかもしれない
でも、僕はあなたとの今のこの時間を大事にしたい
あなたに恋した中学生時代には持てなかった時間だ
 
「ねえ、優子さん」
僕はあなたの名前を呼んだ
「今の君から、僕を見てどう?ちょっとは男として成長したかな」
あなたは振り向いた。
秋色のワンピースに包まれたその顔形は中学生時代の
あなたが幸せだった時代の姿だ
「成長?」
そういったかと思うと大きな声で笑いだした
「あなたが成長なんてしているはずないでしょ」
「そうかなぁ・・この頃、商売も手広くやっているんだけど」
「商売も何も、いまこうしてカメラを抱えて線路際に来ていること自体
あなたがあの頃のまんまってことよね」
そういってあなたはさらに声を上げて笑う
まるで中学生時代の天真爛漫なあなたを見ているようだ

遠くから機関車の警笛が聞こえ、僕はカメラのファインダーを覗く
ふと、横を見るとあなたが興味深そうに僕を見ている
「ほんとに列車が好きなのね・・」
「うん・・・」
やがてファインダーの中に沢山のコンテナ貨車を牽いたEF66形機関車が現れ
僕は夢中でシャッターを切る
列車が去ってまた秋風の吹く土手、オレンジの光が辺りを占め始めている

もう少しであなたを撥ねたあの貨物列車の時刻だ。

「一つだけ、わたし、あなたに謝らなきゃ・・」
「なにを??」
「あなたの好きな列車を傷つけたこと、列車に恨みはないからね」

 陽が沈む・・この列車の牽引機は、あの時と同じようにEF210のはずだ
遠くで踏切が鳴る
僕はカメラのファインダーを覗く
あなたが横で、カメラを扱う僕を見てくれているような気がする
呆れたような、不思議そうな表情で

その女(ひと)

よるイメージbw


「わたし、百人切りしちゃった」
可愛い顔して、ふっと悪戯っぽく、そんなことをいうあなたに僕は正直、驚いた。
「切るって・・・なにを?」
「決まってるじゃない、昨日でちょうど百人になったってこと」

細長い煙草をふかし、大きな瞳で少し笑みを漏らしながら僕を見る。
僕がその頃から、仕事帰りに通いだした、髭のマスターのいるショットバーでだ。

あなたは偶然、カウンターの僕の隣に腰掛けて、そしてマスターと数回、言葉を交わしてから僕に声をかけてきた。

「なにが・・」
そう言いかけて、鈍感な僕にも分かったのだ。
「もしかして・・セックスの相手?」
「そりゃそうよ、決まってるじゃない」
「すごいなぁ・・」
僕にはそれ以上の返答をすることができない。

あなたから見た僕は、たぶん、鶏が猫にでもいきなり出会ったかのような表情をしていたのではないだろうか。

見た目はとても清楚な女性だ。
若い女性ではなく、年のころは三十代後半くらいだろうか。
全体に身体が小さく、けれど華やかな雰囲気に満ちている。
しっかりコーディネートされた青を基調としたファッションはよく似合っているし、化粧も華やかでありながら、濃すぎるという印象も受けず、上等過ぎない淡い香水の香りが彼女を引き立て、品の良いイヤリングがきれいな耳たぶにぶら下がる。
細長い煙草をお洒落に咥え、ゆっくりとうまそうに煙を僕にかからいように、自分の上のほうにむける。
灰皿に置いた吸い殻には朱色の口紅が残る。

「とてもそんな風には見えないけど」
やっとのことで僕がそう言うと、あなたは眼を大きく見開き、さらに悪戯っぽく言う。
「じゃ、一度、やってみます?とても上手ですよ‥わたし」
「いやいや・・」
「あ、勘違いしないでね、わたしは、自分が気に入った男性としかそういう関係にならないから・・」
「はぁ・・」
僕はこの可愛い女性に圧倒されてしまい、ただ、まじまじとあなたのほうを見るだけだ。

「アナタ、今夜はお暇ですか?」
「いや、その・・」
「ちょっとあなたのこと、気になったのよ」

僕にはあなたがまるで異星から来た宇宙人のように見えた。
こんなことをいう女性には会ったことがないし、どう対応していいか全くつかめない。
その時、店のマスターがカウンターの向こうから声をかけてくれた。

「ジュンちゃん、彼はいたって真面目な人だからね・・あまり驚かせたらだめだよ」
ジュンちゃんと呼ばれたあなたはクスっと上品な笑みを漏らし「この人、なんだか気になるのよ~~」なんて言う。
「ダメダメ、今夜はきちんと帰りなさい、旦那さんと息子さんの待つご自宅へね」
マスターがしかめっ面をしてあなたを見据える。

「え~~、つまんないの・・旦那といるの」
「だめだよ!!」
あなたは助けを求めるかのように僕を見る。
「ね・・アナタだって、今夜は遊びたいよね」
返答に困っているとマスターが僕に目配せをした。
「いや、今夜はちょっと帰って仕事の続きするから・・」
マスターが大きく頷く。
「つまんない、遊びたいのに・・」

演技とも、本当にそう言っているともとれるあなたに、僕は少し興味を持ち始めていた。
「ところで、ご家庭がおありなんですか?」
あなたはまた細長い煙草を咥えなおして僕のほうをじっと見つめる。
「ありますよ・・仕事のできるイケメン主人と、可愛い息子があります」
「では、そのご家庭の中でうまくいっておられないんですか?」
「いえ、とてもうまくいっている、傍から見れば羨ましいような家庭です」
「では、ご主人がソチラのほうがあまりよくないとか・・」
「ソチラ?・・ああ・セックスのこと?」
「はい」
「主人はとても上手ですよ。私が求めていることをいつもよく分かってくれる」
「はぁ・・そしたら・・」
「なんですか?」
「なんで百人切りとか・・・」
「だって・・いろんな人と楽しみたいじゃないですか、人生は一度きりだし」
「確かにそういわれれば・・」
「でしょ、だから今から行きましょうよ、ホテル代だけ出してくれたらいいから」
また悪戯っぽく、あなたは僕を見つめる。

けれど、その日、僕は一人で帰宅した。
僕にも家庭があり、今、妻や娘を裏切ることは出来っこない。
そしてそう決心したはずなのに、その夜にあなたに付いていかなかったことを後悔している自分があった。
あの、きれいな黒い服の下はどうなっているんだろうとか、上手というのはどういうことをいうのだろうかとか、想像したらきりがなく、僕はしばらく妄想に取りつかれることになってしまった。

数週間してようやく妄想も溶け、またあのマスターの店に行き、誰かと話をするわけでもなく、ぼうっと飲んでいた。

「お久しぶり!」
あなたは、そうすることが当然であるという風に、僕の隣に座って身体を寄せてきた。
「覚えてます?わたしのこと」
「はい、もちろん・・」
その時のあなたは、黒のミニワンピースに身を包んでいた。
やはりきちんと上品に、そして清楚にまとめられている。
「今夜はどうかしら?」
「う~ん、僕には家庭もあるし」
「恋人になるんじゃないの、そういうことするお友達がいてもいいって思いません?」
そう言いながら細長い煙草に火をつける。
「はぁ・・」
確かにそれも一理あるかもしれない・・そう言う想いをすぐ自分で打ち消した。

そこへマスターが声をかけてくれた。
「ジュンちゃん、うちのお客に手を出すの勘弁してよ」
「手を出してなんかいないわ、手を出すのは殿方のほう・・」
そう言いかけて、あなたはハッと口元を抑えた。
「手じゃなく出すのは・・あっちのほうね~」
これには僕も笑ってしまった。
笑ってしまったらそのまま、あなたのペースに巻き込まれそうだが、もう仕方がない。
それにその日の僕はかなり酔っていた。
会社の上司と呑んだ後、上司を駅へ送り、その足で呑みなおしに来たのだ。

それから小一時間、その店にいて、僕はあなたと連れ立って店を出た。
「あまり、君が入れ込むべき女じゃないからね」
店を出るとき、マスターがそう囁いてくれた。

「まぁ、いろんな出会いがあってね・・わたしはその出会いを肌に残したいだけなのかもね」
歩きながらあなたはそんなことを言った。
「こう見えても、相手の人の本性は見抜いているはずなの。アナタをみて、この人は大丈夫ってね」
「はぁ・・」
答えに窮しながら僕はあなたが、凭れかかるのを支えながら、夜の街を歩いた。

「わたしね、結構苦労してるのよ、親とは今も断絶だし・・だから余計に人の裏側も見えてしまうの」
「はぁ」
「出会うだけじゃいや、繫がりたいって心底思うの」

そうなのか、そうかもしれない・・と思いながら、僕は自分の思考を停めることにした。

二人で歩く道の先にラブホテルの明るいネオンが見える。
「わたし、上手なのよ、期待していいよ」

はしゃぐあなたの声が、進んではいけない道へ僕の背中を押す。


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